読後感シリーズ

アウトプットの練習用です。

雑記

縮小気味ながらもチカチカしてるイルミネーションがいつのまにか駅前に飾られていて、寒い夜の中待ち合わせた人を見つけてお互い歩み寄ってく光景が浮かんだ。適当に一杯引っ掛ける日の寒空が好きだったなと思います。

文章はブームです、そのうち飽きるかも知れません。でもダラダラ書くの自己満足度高いよ。とはいえ長文を書くのに慣れたわけでもなくて、1パラグラフを無意識で書くとなんとなく140文字前後になってるのは根付いた習慣だなあ。話し言葉も書き言葉と使う脳みそは完全一致でないはずなのに習合していく。ほらこの前までで140文字程度です。文頭に体言止めして読点挟んで説明を始めるのも便利だけどすぐに日頃のSNS事情がバレるね。

さて文章を書くにも何かしら題材があるとスムーズにアウトプットが出たりします。スムーズに滑って脱線することもありますね。逆にいえば題材がなければ散文的でも脱線しない訳です。レールないし。私といえば題材が降って湧くわけもない無為な生活を送っているし、無為な生活の中にきらめくものを探すほどの感受性があったり感性の錬磨をしているわけではないので、こうして前置き100%の文章を産んでるわけです。たとえば自分が何者でもないことにひどく首を絞められる時もあります。うまくいかないことがちょっとでもあると何者でないことをすべての元凶にするときがあります。複雑化した問題を大雑把にまとめて非現実な敵にするのはその場限り楽でいいですよ、これは瞬時にイカれるためには素敵な白い粉を打つのがいい、というくらい外法ですのでお勧めしません。ともかくそういう時は卑屈になっているのではなく、自罰を装って何者になった人たちを妬んでいるのです。何者になった人は成果があるから助けてもらえる、何かを持っている人へのありふれた嫉妬です。こういう話をして、じゃあ何か本題があるかといえば何もありません。自分の文章に一度反駁を行い最終的になんとなく明るい結論に持っていくと、大学受験の小論文ではまあまあの点数がとれることがあります。一度下げた方がバネはよく跳ねるのと同じです。例え話が重なると減点。明るい結論が生活の中に見つかったら今度は原稿用紙に書きますね。

最近Bluetoothイヤホンの接続が悪い。電車で色々流しちゃいそうでまずいなあ。ところでこのはてなブログのタイトル読後感なんですけど、そのうち図書館にでも行って色々読んでまさしく読後感の話をするのも一つの手だよ。図書館、本も無料で借りれて空調も効いてて最高の場所だな。これはTwitterでよく見られる構文と、140字程度の締めの挨拶です。人生なう。