読後感シリーズ

アウトプットの練習用です。

女王蜂のライブ行ったメモ書き(未完)

戸田市文化会館のロビーは洒落た身なりの人々で埋まっていて、まるでどこかのブランドのコレクションのようだった。「関東はおしゃれなファンが多い」と聴いてクローゼットの中に眠る青いスウェードのコートを羽織り、ジュリ扇を握って赴いた女王蜂の初めてのライブ。どこを見ても絢爛な服装が目に入るので、心は一瞬で昂った。

心地の良いクラシックの流れるホールに入り、指定席に座ってしばらくするとブザーと共に会場は暗転する。ステージの中央、瀟洒なカトラリーを並べた白いテーブルクロスの花道にスポットライトが当てられると、アーティスト写真の衣装を着こなす4人が集う。淑やかな食事風景は次第にナイフを舐り獣のように乱れる。再び暗くなるとテーブルを離れ、それぞれの楽器の元へ歩み寄る。

これから何が始まるのか。高鳴りはじめた心臓に耳を傾けていると、幕の奥からロングブーツの赤い靴紐を揺らしてアヴちゃんが現れる。

今夜の始まりは「火炎」。炎の揺らめきのように翻されたジャケットの裾と、地の底から響くような歌声。一瞬で魅入られる。

艶やかな夜の空気のように優しく切なげに紡がれる「つづら折り」。「傾城大黒舞」と声が掛かれば、観客はどこからか持ち出したジュリ扇を天に掲げる。小気味良い舞踏のステップにアヴちゃんの長い手足が良く映える。

予習で聴いた中でお気に入りだった「しゅらしゅしゅしゅ」が始まって、嬉しくなって自分も藤色の扇をぎこちなく振ってみる。しなやかに振るのは経験が必要だ。

「Serenade」で儚げな大人の色香を見せたと思えば声色をガラリと変えて、いたいけな仕草で見るものの心をくすぐる「ワンダーキス」が始まる。ここまで曲間どころか曲の1小節の合間に音の高低、声質を自在に操り奏でるものだから、個性豊かなキャラクターを抱えた歌劇を鑑賞している錯覚を覚える。

一変、観客の高揚を誘う「スリラ」、「ヴィーナス」、「デスコ」の展開に観客はその場で跳ねながらジュリ扇を更に大きく振りまくる。特に「Dear!」と声が響いた瞬間、声は出さずとも会場全てが沸き立ったのを感じる。ここにきてMVで馴染み深い3曲が立て続けに訪れ、アヴちゃんが挑戦的な笑みでもっと手を上げろと言わんばかりに煽るので、私もヒールを椅子の下に脱ぎ捨てて踊りまくる。

妖しげな低音が響く中、ジャケットの背中に光る龍と蠱惑的に揺らす腰つき。「P R I D E」のダウナーなグルーヴに火照った体を預ける。「し、んきょく!」と呼び掛けて「KING BITCH」。


(未完)

誰がために夜は鳴る

やるべきことを終えた達成感を示すため、社給PCの上蓋をあえてゆっくり閉じ、駆け足で家を出た。
未踏の地に向かう列車は見慣れない連結になっていて、不安になりながら終点の表示を見つめて揺られる。たどり着いた街で帰路に就く人の流れに逆らい歩く。そこでやっと見慣れた文字入りのTシャツを見つけて、安心しつつ目的地を目指す。辿り着いたのは千葉LOOK、マンション前に佇む今宵の晴れ舞台。
初めての千葉LOOKは想像していたよりもこぢんまりとしていて、ライブハウス然とした雑多さがあった。元はナイトパブだったと言うそのハコはホストクラブが何軒も入るビルの1階にあって、建物の角に残る「ナイトパブ ルック」の看板が懐かしい色香をうすらと漂わせる。外壁に貼られた何枚ものポスターの中に、「ビレッジマンズストア」の文字とアー写を掲げたそれを見つけて写真を撮る。ポスターに朱書きのSOLD OUTの文字が今夜の熱を予感させる。開場の合図が掛かると、そぞろ歩いた人々が整列し、私もそこに加わる。e+を立ち上げて電子チケットを表示すると、そこには自分の名前と2番の文字が燦然と輝いている。何度も足を運んだバンドだが、こんなに若い整番になるのは初めてで、チケットをダウンロードしてからはなんだかずっと落ち着かないままだった。
スタッフが重いドアノブを紐で括りストッパー代わりにして、ポケットから体温計を取り出す。1人ずつ間隔を空けて進み、ドリンク代を支払い消毒する。新しい入場の儀式も気づけばすっかり慣れっこだ。アルコールを擦り込んだ手から目線を上げると、チェッカータイルと足跡の目印が出迎える。気恥ずかしくなりながら仕切られたフロアの最前列に足を揃えると、2メートル先のステージを一切の遮りなく見渡すことができた。低い天井、肩を並べて狭そうに並ぶモニタースピーカー、出番を待つ楽器とマイクスタンド、時に鈍く光を返して揺れる緞帳。暗闇で静かに息を潜めた彼らは、25分後に致死性の武器になる。
フロアの1番後ろまで観客で埋まってしばらく、心地良く流れるBGMが突如大音量で響く。その場にいた誰もが知っている、これはここから1時間半、殺し合いの蜜月を始める鐘の音だ。
赤い鎧の男達はおニューの入場曲と共に1人ずつやってきた。慣れた手つきで楽器を構え、背を向ける。やがて殿が咆哮する。狭く暗い空間はたちどころに光と音で埋め尽くされ、否応無しに心臓を捲し立てる。シモテの狂犬が片手で殿を煽れば、ドラムは更に激しく穿たれる。スティックがびしりと指し返し、4人がそれぞれ轟音の徒に成った時、緞帳は大きく開いて大将を呼んでくる。羽根を舞わせライトを浴び、水野ギイがお立ち台に踏み乗って叫ぶ。そうして、ビレッジマンズストアが最高の今夜を始める。

 

高く挙げた手拍子でフロアを巻き込む「夢の中ではない」。トップギアなこの曲で、彼らが初めから気を抜くつもりなどないことを知らしめる。高速のカッティングやグルーヴ膨らますベースが一気に興奮を掻き立てて、血液全部を沸騰させる。夢のようなステージを見つめるこの時間はまさしく現実。真っ赤なスーツがギラギラとライトに照らされ視界まで五月蝿い、たまらない。
休む間もなく撃たれた「Don't trust U20」は、鬱憤を燃料に滾った観客を更に燃やす。柵のギリギリまで迫り出した荒金さんが剽軽な表情でチョーキングを放つ。それは閃光となって唸り、観客が叫ぶ代わりに振り上げた拳の渦でテンションは既に最高潮。ここに来た誰しもが日々常識を隠れ蓑にして爆発する時を待っていた。発破の時、それこそが今日なのだ!
爆発後のステージには一転、艶やかな闇が広がる。その奥でハイポジションの弦が燃えさしの火花を散らす。「クロックワークス・パインアップル」。初めて聴いた時から、このリフに脳をズタズタに蹂躙されてしまいたいと思った。いや、最早シナプスは何本も焦がされているのだろう。衝撃的なこの曲でギターに何が起きているのかが知りたかった。だから偶然にも最前列に位置した今日に演奏してくれたことが嬉しかった。とにかく岩原さんの手元を見続けて理解に励んだ、でも何もわからなかった!だって楽しくてそれどころじゃなかったから!助けてくれ、俺はこの曲に今後何度も殺されて喜ぶんだ!ー爆発して全てを蹴飛ばして、じゃあそこに残ったものは何?そう問いかけるようなこの曲が、Don't trust U20の次に始まったことがまるで物語のように沁みる。どこか寂寥を携えながらライブは続く。
じゃあ侘しく萎れるかなんてのはとんでもない、喧しく慣らし続けることでしか居られない。「黙らせないで」が再びエンジンに火を吹かす。ベースの音色が会場の一体感を増し、オーオーと湧き上がる感情を再び拳に乗せて心が叫び、烈しく穿ち続けるドラムが灼熱をもたらす。ギイさんの歌声が、燻った魂の壁に穴を開けバックドラフトを起こす。2人のギターは悠然と対峙し、仁王像が如く迫力でそれぞれのプレイングを見せつける。口は開けないが、それは黙っている理由にならない。それ以外全部で鳴らし尽くせばいい。
今日の意外性の一番星はこの曲、「セブン」。イントロ1小節鳴っただけで興奮が止まらない。小気味良いリズムはリールを血走った眼で見つめる射倖心と焦燥感を思わせる。現実と違うのは1/120の確率を確実に引いて大当たりが来ること。4人は飛び出すようにステージの最前に立ち、ギイさんの手の動きにあわせて観客がその場で飛び跳ねる。そうして気持ちを極限に高め、テンポが跳ね上がれば右打ちの合図。そこからはジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ大当たりのブチ上がりフェーズで、イっちゃいそうな大熱狂が全身を支配してアドレナリンは赤玉まで枯渇、絶頂状態で体が熱い。
マイクスタンドを中央に構え、熱帯夜は一変澄んだ夜の風を吹かせる。「墜落、若しくはラッキーストライク」。終末に息巻いたあの頃を振り返ったときの物悲しさ、この曲を聞くとそんな感情が湧いてくる。真っ白なライトは火球のようで、紫のライトは紫煙の儚さのよう。死に花を飾れず花に錦も添えられぬ、されども今に生きている。記憶の階段を登る足音のようなベース、2人が向き合い同時に鳴らされるギターの1小節、旧懐を彩る歌声、真剣な眼差しで4人を見つめて打たれるドラムは思い出の駆ける音。目を瞑りそれぞれに浸ると、自然と瞼の裏に涙が溜まる。
心に淡い揺らぎを抱き、振り返る感情は郷愁へ変わる。ギイさんが共に旅するギターを鳴らして始めた「すれちがいのワンダー」には、懐かしさと優しさが溢れている。東京は自分が育った土地だから、東京への羨望と嫌悪にそのまま同意する事は難しい。だが最近は、苦い記憶を残す場所のことを思い出すようになった。ケルト音楽を思わせる調べは、立ち止まってもどうにか進もうとする背中を撫でるようで心地良い。響くコーラスに見送られて車窓は辛酸駅を通過する。
税!税!税!税!ステージ上で軽快な掛け合いのもと、タイマーズの「税」の冒頭が歌われる。そりゃないゼエ、と吐き、ついで始まる「Anarchy In The T.A.X」。生々しい題材を軽やかな曲調で示すビレッジマンズストアの技がきらりと光る1曲だ。生活に影が如く付き纏う税金に、苦しめられて生かされて、狭間でもがく姿はロックンロールそのものか。リズミカルな充さんのスネアの音色に合わせて体を揺らす。声が出せるようになったらジョニーよろしく叫びたい、A N A R C H Y!!IN THE T.A.X!!!
猫騙し人攫い」。ワン、ツー、思わずかぶりつきたくなるような衝動を呼び覚ます。Aメロで柵に足をかけたギイさんが目を見開いて今夜の運命の相手を探す。ぎょろりと端から端まで動いた瞳が捕まえたのはジャックさんだった。殴るような愛の眼差しで一挙手一投足も逃さぬように見つめられ、襟元や髪を整えられた彼は構うことなくベースを弾き続けていた。「低く地に伏せ 息を殺して」の歌詞に合わせ、お立ち台にしゃがんで柵の合間から目を覗かせるギイさん。そういえば向き合ってライブに心酔する私達は、共に背中がガラ空きじゃないか。次第に追い詰められるような感覚を覚えながらも跳ね踊るのをやめられない。
優しく微笑んで始まった「アダルト」は待ちわびた今夜を見送る。深く頭を下げて一心不乱に鳴らされるベース。訴えかけるように歌われるコーラス。触れなくても、離れた時間が長くても、この時間を待ち続けた思いに偽りなんかなかったと、改めて思い直す。
生きろ、と彼は言った。楽しい時間も、それを待ちわびる日も、全ては生きた上に成り立つ。「正しい夜明け」。次第に明るく照らすライトは、朝靄の中で乱反射する光のようで暖かい。涙で霞んだ視界の中、こちらを見つめたギイさんが柔らかに笑う。この夜を超えて、朝焼けを超えて、吸って吐いてを繰り返して、さらに愛しい夜を待つ。言葉少なに交わされた約束を胸に抱いて、私は再び日常に帰るのだ。
万物は流転する。人生は変革の連続だ。細胞1粒さえも変わっていく。それは信じたものを守るため、続けるためと教えてくれたのはビレッジマンズストアだった。「変身」、トランスフォームと叫んで真っ直ぐに伸ばされた左腕は幼い頃に憧れたヒーローのようで、変わることへの覚悟の表れのようでもあった。多くのことが変わった。会えなくなった人もいるだろう、全てを前向きな変化と思い込むのは難しい。でも、変化した果てが今夜の千葉LOOKだったのであれば悪くないと思う。それに金ビレやったりTikTok始めたり、色々変わったけど嬉しいし、相変わらず格好良くて優しいし、やっぱり変化ってかなり良いかもしれないな。
ロックンロールは何度だって幕を開ける。「Love Me Fender」では、ここにいるぞと5人が音を叫び鳴らす。15年とそれから先の退屈を変えて進む暴れ馬たちのいななき、蹄の音色。充さんが腹の底から上げた掛け声と共にドラムが、ベースが、2本のギターが、歌声が、煌めいて混ざり合う。振り乱した髪が額に張り付く。真っ白なライトに照らされ、光の輪郭となった彼等の姿が美しく愛おしい。
「逃げてくあの娘にゃ聴こえない!」と聞こえれば、熱を取り戻した脳をめちゃくちゃに震盪。そこに爆音を100つまみ。全部混ぜると馬鹿ばっかりのフロアが堂々大完成。めいめい鳴らし尽くし跳び尽くし。荒金さんと岩原さんはふたりお立ち台に舞い戻り、鍔迫り合いが如くネックを交えて弾きまくる。アツいアツいアツい!デッケー音ってチョーサイコー!!!!
清々しい気持ちのままに、さよならを何回も言い合えるように。しばしの別れも、またこうして遊ぶ日のために。「LOVE SONGS」の快活なメロディが、終わる寂しさを再会する期待へ変えていく。ビレッジマンズストアは災禍においても、彼等の音楽を聴く人々のことを考えていてくれた。手段を尽くして楽しませてくれた。何度彼等の「またね」に救われたか分からない。感謝が頭の中でたくさん巡って、泣き笑いながら私は手を振った。
居場所を伝えようと拳を真っ直ぐに伸ばした「サーチライト」。掛かって来い、と乗り出した荒金さんのギターソロに釘付けになる。明滅するステージライト、観客全ての感情を拾い上げるように、喉の全て振り絞って歌うステージ上の5人。果てにいる人々を見つめる柔和な視線。ああ、仄暗い感情の逃げ道に光るのはいつも彼等だった。
「PINK」、真っ赤なスーツは肉の色に照らされ猛る。こんなにも終わりとは早く訪れるのか。終わりは激しく前のめりだ。捻くれた言葉も隠した本音も泥臭く立つ姿も全部詰まった音楽に身を任せると、まるで愛に抱擁されているような気分になる。 触れもせず声も出さず、それでもこの1時間半私達は向かい合ってぶつかり合った。最後の1音、マイクシールドが首に絡んだギイさんは両手でハートを作り、ステージを後にした。
新グッズの汗をとても良く吸うタオルを紹介しつつ、再びステージに集ったビレッジマンズストアが今宵最後に演奏したのは「People Get Lady」。高速で打たれるドラムとユニゾンのギターが胎の中を痺れさす。思い思いのモンキーダンスに興じる観客と踊るような運指のベース。ボーカルはふしだらなハンドサインと悪い声色で無礼講を誘う。最後の最後まで踊り切って無上の一夜は幕を閉じた。

ライブハウスの扉を抜けると、湿った晩夏の空気が広がっていた。興奮冷めぬまま、架道橋の先に猥雑なネオンが光るのを見つめ、次第に湧いて流れる感情に思考を任せる。
距離を測って人と人を区別し続けて2年近くが経った。もみくちゃに境目が無くなるほど混じり合う熱狂は、今や唾棄すべきものとなった。床に貼られた足跡から出られなくなって、家から出なくなって、自分の形は自分だけが感じるかたちになった。生来の出不精が功を奏したか、案外人に会わなくても平然としている自分がいた。ライブが見られない日々が続いても時間は同じ速度で進んでいて、なんだ結構淡白なもんだと達観し、流れる生活の中に薄く溶け込んだ。でもどうだろう、彼らが「生きろ」と言ったとき、不定形の自分は生きなければと決意したのではないか。確かにそこにいた、ビレッジマンズストアを愛し、ビレッジマンズストアに愛されたひとりの形になったのではないか。たった1時間半だけの勘違いだとしても、その言葉は私(を含む大勢いた「ひとり」)のために放たれたのだから。気づいて形を取り戻した私は、いつもよりしゃんと背筋を伸ばして帰路に就く。せっかくもらった形を格好良く飾るために。

 

そういえば、あなたの知らないところでも、耳元に忍び込んだあなたのお陰でぼちぼちやってます。だからまた会いましょう、約束しちゃったのでね。では、さよならだベイベー。おっきなポスターが貼られるその日まで。

 

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愛し四つ葉の可愛い君よ

「風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 砕けてものを思ふころかな」っていう短歌が百人一首のひとつにあって、ざっくりいうと「風めっちゃ強い日の波が岩にぶつかっても波が砕けるだけなのと同じで、俺の心だけ砕けまくってて辛いっす」みたいな意味らしいんですけどね、去年の夏からじわじわこの哥が沁みてきてます。ぜんぶ君のせいだ。の緑色担当。よっちゃん、一十三四が脱退したことが今もまだ、時折荒波として襲いくるんです。源重之はアイドルに向けた想いとして書いてはいないでしょうけど、他人に向いた感情をこうも美しく痛ましく表すのはさすが三十六歌仙と謳われる方だなと素人ながら思います。思えば彼女は人生初めての「推し」でした。推しはソリッドな心に水面を作って凪いだり荒ぶったりさせる存在であるのを痛いほど知らされました。
こうして筆を執ったのは、落ち込むことはあれどやっと悲しむだけの段階を抜けてきたように思うので、ここいらで自分の心の整理をしようと思い立ったためです。彼女を知って脱退まではたった1年ちょっとで、目の前で見たことだって片手で数えるくらいでした。でも私は彼女に惚れ、心奪われて、こうして行きどころのない文を認めるほどになりました。まあ、落ちるのに1秒も長いくらいじゃないですか?だって相手は一十三四なんだから。

🍀

ぜんぶ君のせいだ。に出会ったのはビレッジマンズストアの対バン相手としてだった。ぜん君。はおろかアイドルは未知の領域だった自分にとって、可憐な衣装を纏ったこれまた可憐な女の子たちから発されるエネルギッシュな歌声とダンス、観客1人も見逃すまいという視線はとにかく衝撃的だった。特に、可憐さの殻を突き抜けてシャウトを轟かすショートヘアの女の子から目が離せなくなっていて、終演後気づいたらチェキの列に並んでいた。私のTシャツに書かれた刺繍の文字を読み上げて、「ビレッジマンズストアの皆さんはすごいかっこいいし、学ぶことがたくさんあると思ったね!」と飄々と話す彼女、一十三四ちゃんはステージで見えたよりも等身大に女の子で、やっぱり可愛くて格好良かった。帰りしなにぜん君。のCDを配っているファン(なんだそれ)がいたのでありがたく頂いて、インポートしながら彼女たちのTwitterアカウントをフォローする。どうも彼女はよっちゃんと呼ばれていて、のらりくらりとした性格で、自撮りを定期的に上げていて、たまにファンとリプライで交流したりしていて、自分の可愛さを不遜に語り、言葉の節々からアイドルへの真摯さが伝わる子であると知った。個人的な話で恐縮だが、自分が可愛いことを自覚しめちゃくちゃ主張してくる女が非常に性癖なのでTwitter見た時点でドンズバに好きになっていた。次にYouTubeでMVを見た。最初に惹きつけられたのは彼女の咆哮だったが、なんだか掴みどころのないところを知ってからはその動静のギャップがさらに魅力的だった。「可愛い彼女にもなれるしセクシーお姉さんにもなれるしanan表紙系イケメンにもなれるんだぜ」とは彼女自身の弁だが全くもってその通りだと思う。転がしたガラス玉の反射のように様々な色を見せ、気まぐれに表情を変え、でもいつ見たって可愛かった。ころころした瞳を開いておどける彼女を画面で見つめていたとき、会えなくなる可能性なんて一度も考えなかった。
2回目に行ったライブは野音だった。咎憐无ちゃんの卒業ライブで、当時の最大キャパだったそうだ。グッズはひとつも持ってなかったから、とにかく緑の服を引っ掛けて日比谷にたどり着いて、ラババンと囲みチェキ抽選券を買った。囲みチェキが当たった。終演後の特典会で私は「可愛い…かっこよかった…」botと化していたが愛海ちゃんの「でしょ?私たちって可愛くて格好いいから最高なんだよね」という言葉に首がちぎれるくらいうなずいた。野音のライブは本当に楽しくて綺麗で、黄昏の中涙を堪えながら舞う4人の姿は神々しさと泥臭さが共存していた。野音が閉場した後も場所を変えて特典会は続いて、もう暗闇の小さな公園の中、ベンチコートを着たよっちゃんとチェキを撮った。「寒かったでしょ?待っててくれてありがとう、またねー」とサイン入りのチェキを手渡す彼女。全力のステージをこなして長時間の特典会にも対応しているはずの彼女が、写真で見慣れたようにふにゃっと笑って見送ってくれたから、優しくて泣きそうになった。ゆっくり休んでいっぱい好きなものに囲まれて欲しいと思った。それから体制が変わり、しばらく空いてクリスマスライブ。サンタ衣装と5人揃いの二つ結きの髪。初めて見た以来のライブハウスでの公演で、変わらずステージを狭しとダイナミックに動き回り、見るもの全ての心に刺し込む歌声と地の底から訴えるようなシャウトを響かせる。Cult Screamという曲で、始まりをよっちゃんが担当していた。苛烈な曲調で掛け合うようなシャウトが印象的な曲である。普段使わないような言い回しも多々現れることもぜん君。の曲の特徴だが、そこに肌をひりつかせるほど感情を込めて歌う。共感など生温い、わからせてくるのだ。華奢な彼女たちの情熱、苦悩、焦燥を全身で表現する。見逃せるわけがない、目が離せない。「出会いたいのはたったひとつの…」、訴えて、するりとお立ち台を降りるよっちゃんの横顔。サンタ衣装のスカートが翻り、残像で赤い稲妻を空に描く。激しい曲調の中切なげに舞う彼女が本当に美しくて大好きだった。ステージの照明で金糸のように光る彼女の明るい髪をずっと見上げていたいと思った。今こうして思い出してみても、どこをとっても一十三四は輝いていた。
ステージ終わりのチェキ会。「サンタ衣装!悩殺された?」と問いかけ、腕を組んでチェキを撮ってくれたよっちゃん。私は推しを目の前にしどろもどろでまともに話せなかった。腕を組んでいるのだってチェキを後から見て気づいた。小悪魔でセクシーでやっぱりかわいい。なお半ば無理やり連れてきた友人はその日ぼのちゃんに落ちていた。
そこからのZeppDiverCity、中野サンプラザ公演は赴かなかった。Twitterの公式アカウントやメディアに上がった写真の5人は広いステージをものともせずきらきら笑っていた。最後に5色で撚られた線が心電図を描き、ゆっくりと振れるのを止めた演出が映されたのだと参戦した方のツイートで見た。中野サンプラザ公演の後すぐ活動休止のアナウンスがあった。浅慮にも「またすぐ会えるから悲観せず楽しみに待っていよう」と思っていた。大舞台をこの目で見なかったのに、この時は気にしてさえいなかった。
それから。活動休止の報告から1週間もなかった。「一十三四、凪あけぼのの脱退のお知らせ」。文字を読んでも意味が頭に入ってこなかった。コメントを読み進めて、次第に心が絞られていくようだった。彼女を神格化するかのような感情を恥じた。彼女たちは文字通り自分を削ってアイドルをしている。煌めきは削った血肉の結晶だ。壮絶な覚悟。その刹那的な輝きを永遠と誤解していた。この文章は過去を振り返って書いているから格好付けて言葉を綴れるが、脱退の意味を理解したその時、脳に浮かんだ言葉はただ、「会いたい」だった。
好きなのはCult Screamだけじゃない。ねがねおじぇらすめろかおすの口上がよっちゃんらしさを全部詰めているし、せきららららいおっとの歌声はキュートさ200%だし、Greedy Surviveの振り付けはポップでダーク、病みかわいいの体現を見られるし、常花は少し吐息を混ぜて艶やかに歌うのが輝いて歌唱力の高さを示す曲だし、それから、それから。よっちゃんの魅力は語り尽くすことなんてできない。こんなにも言葉が止まらないのにどうしてもっと足を運ばなかったんだろう。もっと会いたかった。しっかりと目を見て伝えたかった。たらればは野暮だ。だけど後悔してしまう。会いたいも伝えたいも私のエゴで、それはよっちゃんを苦しめたものなんじゃないか。アイドルとファンはアイドルとファンでありその関係は他人だ。ナンセンスなのに脳が裂けそうなほど葛藤した。
脱退の報告から半月ほど経って2人の最後のライブが渋谷で行われた。副都心線に揺られている間、このまま辿り着かなければ終わらないんじゃないかと思った。起立して見るライブは半年近くぶりだった。感染防止のための注意事項がアナウンスされて人と人は距離を保っていたけど、ライブハウスで開演を待つ観客の姿は何も変わらなかった。だからやっぱり脱退しないかもしれないと本気で思った。いつも通り俯いて呟き5人がステージに上がる。初めからトップギアでライブが進んでいく。メンバーは、よっちゃんは客1人1人を見つけてくれる。「最後のライブだぞ!」と檄を飛ばすように告げられた彼女の言葉、全力のパフォーマンス、何度も涙で視界が濁った。最高に楽しくて最高に切ない時間が過ぎて行く。一筋縄じゃない可愛さと格好良さを持った真剣勝負の女の子たち、アイドル。何回だって惚れてしまう。
アンコールでのソロ曲、よっちゃんは解けた服のジッパーも構わず歌い叫ぶ。短い金糸の髪は額に張り付いている。この烈しさを一瞬だって見逃さないように目を開いた。全力の表現者は2本の足でしかとステージを踏み、体が割れそうなほど感情を振り絞って伝える、「あたしの事だけ見ててね」。そして曲が終わる。彼女はやり切ったように首を空にもたげて、天を仰いでやはりふにゃと笑っていた。再びメンバーが揃って、最後の曲は「僕喰賜君ノ全ヲ」。よっちゃんに逢えて本当によかった。よっちゃんが推しだったから、私の心は狂喜乱舞したんだよ。一度もちゃんと伝えられなかった。「ありがとうございました!!」と深々と頭を下げる5人が、ライブの終わりを告げる。よっちゃんは「ありがとう以外ないね」と少しニヒルに笑って言う。愛海ちゃんによれば、そのうち新しい冷蔵庫を買うらしい。あんなにも魂をぶつけて歌う姿は気づけば捉えどころのない女の子になっていて、最後までこの目まぐるしさを見せてくれたことが愛おしかった。
ライブハウスを出て暗くなった渋谷の路地を歩く。頭はもう逢えないことを信じていないのに、帰るしかなくなった体が真実を語っていて崩れそうだった。瞬きを忘れてカラカラだった瞳は次第に潤い、そのうち止めどなくこぼれ落ちた。公式のライブ写真、音楽メディアの記事、彼女のTwitterの更新。全てに「最後」が冠されていた。ひどい目眩を起こしそうで帰ってからすぐに布団に潜った。次の日の朝もう一度彼女の最後のツイートの「あばよ!」を見て、それはライブでの最後の言葉と同じだったから、やっとライブに行って良かった、と口にすることができた。
そこからのぜんぶ君のせいだ。はとにかく激動だった。ましろちゃんの脱退、新メンバー加入。更に加入。正直感情は全く追いつかなくて、よっちゃんの声を聞くと感情を脳が理解する前に涙が勝手に伝うから、曲もしばらく聴けなかった。7人体制のオンラインリリイベでCult Screamが始まった時、よっちゃんがいないことをまざまざと思い知って、パソコンの前で頽れた。これはよっちゃんのいないぜん君。を認めないとか、もう2度と見ないと誓ったとかいう話では決してない。むしろ初期の頃からのメンバーの相次ぐ脱退、短期間でのメンバー加入、コロナ禍など強大な壁が立ち塞がった中でグループを続けてくれて、また会おうと言ってくれることは本当に格好良いと思うし、もっと応援したいと思った。このダブルスタンダードな感情が苦しかった。
時間は解決はしないが感情を希釈してくれて、さらにかき混ぜる役割は忙殺だったりして、気づけば3月も後半になった。リリイベもやっと見られるようになった、かわいい。さみしくないと言ったら大嘘だが、やっとなんとなく気持ちの扱い方がわかってきた気がする。心に棘が刺さり続ける限り、私は一十三四を忘れないでいられる。一十三四が好きだと言い続けられる。一度掴んだ心は絶対に離さない、罪作りな女の子。病みかわいいを教えてくれた女の子。アイドルを教えてくれた女の子。気まぐれでわがままな女の子。私の初めての推しの女の子。あんなに苦しんだのにやっぱりどうやったって貴女が大好きだよ。君のせいでこんなにも楽しかった。ありがとう以外ない、とは言えないほど伝えたいことが沢山ある。でも沢山ありがとうって言いたいよ。一十三四でいてくれて本当にありがとう。貴女が推しで本当によかった。愛せてよかった。…ねえ、これから沢山心の中でお会いしますが、まずは挨拶程度から…。あばよ!よっちゃん!元気でね!

『女心は乱気流!一十三四「え、かわいい…」妖精強制光合成!』

 

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雑記

狭い部屋の中では寒いか暑いかの季節ふたつのみ巡っていて、たまに外に出てみると夜が来るのが少し遅くなったように思います。ピンクと青の間の空の色に毛並みが変わった和犬が、垣根の奥にいる野良猫と対峙している。ハチワレ靴下。

知らない街に越してきて知らないままの日々、家の周りには野良猫が3匹いるらしい。どんなご時世でも街のことは知らないままだと思う。人がたくさん住んでいることは同じだが人の内訳が違うから隣町とは違う街です。薄暮の中遠くに勝手口で何やら勤しむ影を見る。人が全て影で出来ていたら夜行性だろうから早起きしなくていいな。モバイルSuicaにチャージをする。年を経るたび人と話せなくなっているように思う、保守派が加速しているのか。それは老いかもしれない。相対的に見れば大したことないが自分の絶対的な指標で見れば大したことだったあの日、人に優しくする手段と人に都合良く思われる結果の食い違いには、忙殺されながらでは気づけない。6個1パックの中からもらった蒸しパン1個。それが私につけられた価値であった。素朴な味の教訓であったように思う。

少し歩いた先に新たな野良猫。暗くてよくわからないから既知かもしれない。大葉をたくさん買って冷凍した。この前から家のどこかで機械のうめき声が上がっており怖い。昨日洗面台に覚えのないネジが落ちていた。俺の家は動く城かもしれない。太郎の動く6畳間。跳ねた油で火傷した手首の一点。四季は薄く混じって侵食するように変わる。今日は沢水氷がつめられそうもないかな。

小指だけ冷えた手でまたsuicaにチャージをしている、途中で飴を買ったら出れなくなった。膿んだような夕焼けを走る電車でトコトコ、きさらぎ駅にヱビスビールはありますか。ご当地キティちゃんもあるといい。命あっての物種です、どうかお元気で。

 

雑記

Cyberpunk2077めちゃ面白いんだが?やってる人はあなたのVの物語を教えてください、本編クリア後に読みます。

あっちゅう間に年末年始が過ぎて2021年ですね、何か書くたび2020年と一度書いて2021年に直すことを繰り返し、初めから2021年と書けるときになるまで新年を認識できない。その頃には新しい年じゃないです。

マスクのゴムが長いのか、耳元で結んでいる人と、一回転させてX印にしている人が並んでいる。工夫の個人差を生み出すのも遺伝子の技ですか。

Twitter見てると「この漫画は一切読んだことないがこの漫画の人気キャラは知っていて同人誌上のスケはこのキャラである」という穿った知識がよく生まれる。上澄みどころかコップの余白吸ってるみたいな楽しみ方だな。昔見てた東方紅魔郷のプレイ動画の中で、プレイヤーの横で見てる友人が「魔理沙って男なんでしょ?」って言ってたのとか極端に振り切れた例だなと思ってたまに思い出して笑う。

PC買いまして半年くらい経つんですが、PCというのはやりたいことを「やった」へ一歩二歩進めるときに非常に便利ですね。ありがたいもんです。当然氷山の一角しか触れてないけども、それでもやれることがとにかく多い。最近は動画編集してみたくて卵焼き焼く動画にヒカキンの動画の編集点に使われるSEつけたりしてます。あとはたまに配信してみたり、ボイチェンかけてOBSで配信してると声のボリューム激下がりするんですけどなんでですか。手段が目的になることが多くて、料理もやってんの楽しいんだけど、「作った料理を入れると塩味や甘味などを数値化しレーダーチャートにしてくれ、かつ料理は炭になってなぜか空腹も治る」みたいな機械に入れて終わりにしたい。俺はテストでしか価値を見ることができないから全て点数にして欲しい。

なんで冬の空気は澄んだように感じるんですかね、湿気ないからかな。空気の対流が少ないのもあるらしいです。外にいると夏も冬も大変だから作品の中でだけ空気感を感じたい。家にいるべきと言われ慣れてきた頃です、想像力を先鋭化していければいいですね。また今度。

 

 

雑記

多方向に街灯がある道を抜けていく時、複数生えた自分の影が次第に収束して濃くなるのを見る。良い面と悪い面とどちらともない面が合わさって人間になることのメタファー。

めっきり寒くなったもんです。レゴブロックで作ったみたいなテクスチャの古い団地と、その間の黄色いイチョウの木を見ながら書いている。紅葉もイチョウも暖色に変わるのに、それは寒冷の到来を示すものであるのが不思議ですね。

心のこもったとか、熱量のあるとか、とにかくそういう薄っぺらでない文章を作るには、怒りや殺意を持って筆を走らせることも一手法のようです。側からどう見えてんのかはわからんけど、あまり怒りも殺意も持つことがない人間と自負していて、これはもう周りの環境さまさまなのか、感情がマジで摩耗してんのか知らないですけど。クリエイターでもないので別に名文を産む必要はないけど、そういうの憧れるじゃないですか。だからとりあえず最近は汚れていく排水溝に怒ってます。そのうち排水溝の太宰治と呼ばれる日が来るかもしれないのでお楽しみに。

通りすがりで見かけた黄色いハイカットのコンバースが目を引いた。電線のふくら雀のようにくっついてガチャを引く画面を見つめる中学生。サラリーマンから伸びた赤いイヤフォンケーブルが隣の老人の鞄に寝ている。12月も真ん中過ぎてますね。はやくcyberpunk2077をやる時間が欲しい。

雑記

腰やったわ。と思ったら体が固すぎるだけで骨とか何も問題なかったわ。背骨のレントゲンめっちゃ綺麗だったから履歴書の写真貼るところに貼りたい。

相も変わらず電車に乗り続けています。電車に乗っていると筆を取りたくなるのは、もしかしたら電車に乗った人々の思想が脳に流れ込んでるのかも知れませんね。僕は顔のみ知った知らぬ人の思想を刻むタイプライターだとしたら、これはあまりにもファンタジー過ぎてイタい。

気づいたら年の瀬も見えてきた頃です、急に冷える日も増えてきて、不調などはないですか。服が好きで暑いのに弱いので、重ね着出来て寒い冬は過ごしやすいです。柄物ばかり着込んでいるのも大雪に紛れない為という理由ということにします。

格好良いとは何か、とぼんやり考えることがある。生物の美醜、生き様、改札を通り抜ける動き、スカート丈1cmの差。大雑把なところにも細部にも発生する評価指標。定義が流転し続ける言葉ですが、たった今思うに格好良さがあるものは「対象にカジュアルな畏敬を感じる」ものだと思う。格好良いものを見たとき、圧倒され跪くような、見上げているような気持ちになる。格好良さはきらきらして、それを全身で浴びたくなる。ラファエロの聖母に見下ろされる気分だ。感情の大小はともかくとして。急にダイナミック狂信ドマゾを見せてすみません。とにかくそういう憧憬を薄めたものが自分の中の格好良さだと思います。カリスマ性を見出してると言ったらシンプル。

なお、今夜冷凍餃子を焼いている頃には「羽根付き餃子がスマートに作れること」に気が変わっているかもしれません。適材適所。

腰痛にはお風呂上がりのストレッチが良いそうです。アキレス腱伸ばすような動きです。その時腰は反るといけないみたいです。腰はすぐ出不精に牙を剥くので恐ろしいですね。ではご一緒にアキレス腱を伸ばす運動、新しい夜が来た。