読後感シリーズ

アウトプットの練習用です。

雑記

何も伝えることはない。

電車の斜向かいに座る奴のスマホケースに入った野口英世は重なったセクシーな女のイラストの下半身を生やして、「FUCK」と書かれたパンツを履いている。金の亡者と肉欲の相乗効果なのかはたまた資本主義への挑戦的なアイロニーかはさておき、平日南中天気は快晴である。大きい目で見れば人口は減っているが、電車内の人口は春より増えた。生活がある。窓が開いているのは心地よくて良いと思う。

イヤフォンから流れるMixの中にCult Screamがある。いっときは聴くと感情のないまま涙が伝うので聞けなかった。初めてアイドルのライブを見た去年の3月。華奢な体と可憐な衣装で俯きながら入場する彼女たちは、UPSETの一段下がった天井もあって額縁の中のかわいい絵のように見えた。一方、「ぜんぶ君のせいだ!」と咆哮した途端、額縁は一気に蹴破られ、生きた4人が縦横無尽に動き出した。踏まれていないステージの床は1ドットさえなかった。文字通り汗も煌めかせ活力の全てを燃やす彼女たちは全身を撃ち抜いて意識を全て輝かせた。「アイドルが元気を与える存在」であるのを脳の深いところで理解した気がした。喉の全てを絞り歪ませた絶叫を響かせた一十三四が気になった、ライブ終わりのチェキ撮影で、ゆるりと話すよっちゃんになっていて、人生で初めて推しアイドルができた。全身白くて一際小柄なましろちゃんはたしかに私の認識の中で1番の歌姫だった。ライブは数少ない回数しか行ってないし、はじめてのZeppだって行けなかった。それでも彼女たちは私にアイドルってとっても素敵な存在だって教えてくれた。よっちゃんが最後のライブで「最近冷蔵庫を買ったらしい」という話を聞いて、私の好きなよっちゃんの輪郭がやっと見えた気がした。突然の脱退発表のあと、YouTube配信で3人で話すましろちゃんを見て、捻り出した答えが「元気でよかった」だった。秋口は一十三四五を開くたび、わがままで気まぐれな狭い部屋で撮られた彼女の写真を私はもう見ることをないことを自覚した。棚に並んだ或夢命の背表紙を見るたび悲痛なほど魅了する歌声はもう新しい歌詞を歌わないことを知り続けた。

でも時間が経つにつれて悲しい気持ちにはピークがあって、今は勝手に納得したんだと気づいた。どう納得したのかはわからないけど。代謝される細胞とともに消えていくんでしょうかね。グループが続いたことが良いことだと思うのも事実です。春になるまで、たまに凹むことを自分が自分に許して欲しい。

しばらく巣篭もりの生活が続いて、今なおそんな感じだ。元々出不精で、運動習慣もないから不自由を感じていませんが、孤独になって体も自意識も劣等感も太りますね。悪いことかはわからない。良いこともあるよ、顔が見えないと人は美化する。たまに外に出ると家々があったりするから人間は集合の上に成り立つ生物だと知らされるようで気持ち悪くなりませんか?

ものに向きと裏があることがわからない。展開図やキラリティがどうも頭で組み立てられなくて、せいぜいテストの点数が悪いくらいで済んでましたがこの前餃子が皿に並びませんでした。

(任意の)映像を前に自分の感情を頭に投影した時、それは例えば帯の翻る姿や澄んだ白で現れ、ただそれでは文章にならないから辞書を引いて類似した言葉を探すことがよくある。ライブの感想なんか大体それをやっている、語彙はスロースターター。多くの場合一般的な言葉にならない。人の心に残りやすいのは汎用な言葉で芯を捉えることだ。「真に頭がいい奴は簡単な言葉で説明する」と言うこともあるけど、記憶に残す点ではそれは一理あると思う。理解と記憶をどれだけ混同するかは論ずるのは難しい。

大袈裟に言えば世界が広がることが好きだ。なんとなくのまま飲み込んだ専門用語や概念の意味をなんとなく知って、なんとなく見方が増えた気になることがなんとなく好きだ。興奮する。最近はその矛先が配信周りに向いている。やらないといけないことが並んだリストは苦手だが、やることが並んだリストを眺めて消すことが好きだ。適当に買った食材を余らず献立にはめ込むことが好きで、作った後にリストにチェックをつけることが好きだ。作ることはそんなでもないです。人の好き嫌いの話を聞くのが好きなので、そういうのが放流されやすいTwitterは性に合う気がする。もう8年やってっけど。唐揚げ食べたいな、電車の窓から入る空気は冬なのに温いものをはらんでます。3駅乗り過ごしました。